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マカの歴史

マカは古くからあった植物ですが、1980年代までその存在を知られていませんでした。
なぜ、マカは知られてなかったのでしょうか?
ここでは、そんなマカの歴史を紹介します。

マカとは?

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マカは、南米、ペルーのアンデス山脈の高地が原産地です。

アンデス山脈の高地は、

・標高4000メートル
・空気が薄い
・一日の温度差が30度
・年間平均気温7度以下
・日照り、強風、凍結、霜、雹(ひょう)がある

という過酷な環境です。
マカは、この環境を生き抜くために、土地の栄養素を根こそぎ吸い取って根に溜めるので、栄養素を豊富に含んでいます。

ペルー政府は、マカを外貨を得るための重要な商品として認識し、マカの種と、生のマカを海外に持ち出すことを禁止しています。
ですので、日本ではペルーのマカは、サプリメントやハーブティーとしてしか摂取できません。

マカの歴史

貴重な植物のマカ

マカの歴史は古く、2000年前にはアンデス高地で栽培されていました。

インカ帝国(1200年頃~1532年)の時代には、マカは神へのお供え物や通貨としても扱われていて、大変貴重なものとされていました。
ですので、当時は、マカは貴族の特権階級でしか食べることができませんでした。

インカ帝国では、戦場に出る前の兵士には、十分な栄養を与えるためにマカが与えられ、負傷した兵士のけがの回復や勝利した戦士への褒美としても、マカが与えられていました。

また、結婚前の若い男女は、マカを食べるのは控えるようにされていたと、いわれています。
これは、若い男女が食べると性欲が増し、結婚前の関係が乱れるから、というのが理由でした。

マカがインカを滅ぼした?

1500年代にスペインによるインカ帝国の侵略が始まり、インカ帝国は、滅ぼされていまいました。
この時に、歴史に残るマカのエピソードが残っています。

スペインは、インカ帝国を征服する際に多くの馬を持ち込みました。
アンデス山脈にあるインカ帝国を征服するためには、馬が必須だったのです。
ところが、馬はアンデスの高地の厳しい環境に適応できず、健康を損ね、繁殖もできないまま次々と倒れてしまいした。
この時、アンデスの先住民に教えられて馬にマカを食べさせたところ、馬が元気を取り戻し、繁殖にも成功し、スペインはインカ帝国の征服に成功したのです。

栽培を禁止されたマカ

しかし、その後、スペインはキリスト教を布教するために、アンデスの人々が信仰していた太陽神への信仰を禁止し、お供え物であったマカの栽培も禁止しました。
そのため、マカは絶滅の危機に陥りましたが、山間の奥地でひっそりと栽培されていました。

その後1980年代まで、マカの存在は知られておらず、ペルーでも平地の人は存在を知らなかったほどです。

1980年代に、アメリカの旅行者がアンデス山脈の奥地を訪れた時に、マカを発見しました。
そして、現地の老人が元気な理由がマカ、ということが判明し、世界中にマカのことが知られるようになりました。

2018年現在では、マカはペルーの外貨を得るための貴重な資源として扱われています。

日本でのマカの歴史

日本では、1990年に大阪で開かれた「国際花と緑の博覧会」で、ペルー政府によってはじめて紹介されました。

その後、1998年に当時のペルーの大統領のアルベルト・フジモリ氏が、来日の際に、マカを始めとするペルーの特産品を紹介しました。

2001年には、テレビ番組でマカが紹介され、みるみるうちに、精力剤や、健康食品として一般にも知られました。

2015年度には、日本はアメリカ、カナダ、英国に次ぐマカの輸出先となっています。

※マカの輸出先とその割合(2015年度)

1位アメリカ・・・35%
2位カナダ、英国・・・8%
3位中国、日本、オランダ・・・7%

まとめ

マカは、2000年も前から栽培されていました。栄養素を多く含んでおり、効能が優れているので、インカ帝国の時代には、特権階級しか食べることができませんでした。
しかし、1500年代にスペインによってインカ帝国が征服され、キリスト教を布教するためにマカの栽培が禁止されてしまいました。

その後、マカは長い間、アンデス山脈の奥地でひっそりと栽培されており、その存在は知られていませんでした。
1980年代に、アメリカの旅行者によってマカが栽培されていることが発見され、アンデス山脈の老人たちの元気の理由がマカにある、ということが判明すると、マカは世界中に知られました。

日本では1990年にはじめて紹介され、その後、2001年にテレビで取り上げられたことがきっかけでドリンクや健康食品として広まり、日本は、今ではペルーのマカの輸出先3位となっています。

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